太陽の光を浴びて輝く真っ赤な薔薇に囲まれた場所、薔薇広場。 その中央にゴシック調の細工が施された黒い長テーブルが置かれている。 真っ白なテーブルクロスがひかれ、所狭しと並べられたティーカップ、ティーカップ、ティーカップ。 大きさも柄もばらばらで一つとして同じものは無い。 カップの群れに埋まるようにしてティーポットが4つ。 それからケーキやクッキーなどの菓子が隙間なく並ぶ。 とにかくごちゃついており、溢れた食器は今にも地面に落ちそうである。 テーブルの周りには何脚もの椅子があったが、カップと同じく統一性が無い。 ゴシックな椅子があるかと思うとふかふかしたスツールがあったり、 逆に梯子のような長い背もたれのものがあればその隣ではロッキングチェアが揺れていたりする。 カップ、椅子。 明らかに常識外れの量が用意されたパーティ会場。 しかしそこにいるのはたった二人だった。 「まったく、今日は素晴らしい日だよ!」 突然、首に緑のスカーフを巻いた金髪の男がそう叫んで立ち上がった。 テーブルの端にあったガラスのカップが地面に落ちてガチャンと割れた。 curtain call 2:午前三時のお茶会 「こんな良い日が今まであったか?いや!無いね!今日は俺の人生で一番ついてる日だ!」 「うー…」 男は尚も興奮冷めやらぬ様子で叫ぶ。 木製の椅子から立ち上がり、カップを持ったままテーブル周りをウロウロ歩く。 丁度反対側に座っていた黒髪の男が呻いた。 「俺はこの世で一番の幸せ者だな!」 「ううっ…ひっく」 金髪男のテンションと声の調子は留まるところを知らないようにどんどん上がっていく。 薔薇を一厘手にとって丸椅子の上に乗った。 右手にカップ、左手に薔薇、それを両方天に向って高々と掲げる。 黒髪男が肩を震わして嗚咽を漏らした。どうやら泣いているらしい。 「神さま、有難うーーーー!!!」 「うわああああああああん!!!」 感極まった金髪男がそう叫んだ。 同時に黒髪男が大号泣と共にテーブルに突っ伏した。 広場に響いたあまりの声に薔薇とカップを取り落として耳を塞ぐ。 陶器のカップは地面に落ちて割れた。 それには構うことなく嫌そうに眉を顰め、泣き続ける男に向かって声を張り上げる。 「うるっさいな!俺が盛り上がるのに合わせてボリュームを上げるな」 泣き声はぴたりと止んだ。 黒髪の男が顔を上げ、ごめん、と言う。 顔をゴシゴシと拭いたのでピンクのシャツがぐちゃぐちゃである。 スカーフを巻いた男が盛大に溜め息をついて椅子から降りた。 「おいおい。今日は俺のラッキーデーだぞ?そんなしけた面してんなよ」 「ああ…死にたい…」 盛大に泣き喚いた後に絶望のどん底にいるような表情でそんな事を言われては 普通の人間であれば何事かと思うようなものだけれど。 どんよりとした呟きを聞いた唯一の相手はやれやれまたかといった風に首をすくめただけだった。 あろうことかまだ涙を零しながら紅茶を啜る男の肩に手を回し、そんな事より、と口を開く。 「まあ聞けよ。俺が何でこんなにハッピーなのかをさ」 「ひっく…。うん、何で?」 言われた方も言われた方で自分の発言がすっかりスルーされたのはどうでもいいのか、普通に返事をする。 「聞きたいか」 「うん」 「良いか。言うぞ?」 「うん」 「何と…帽子が、売れた!!」 両腕を広げ輝く笑顔で。ジャジャーン!という効果音がどこかで鳴り響いた気がした。 目前の彼の頭上に目をやり、きらきらした笑顔と見比べ、ああ、と黒髪の男が言う。 「ほんとだ。無い」 「帽子屋として長らく生きてきたが、帽子が売れたのは初めてだ!こんな幸せってあるか!?俺は!今!死んでもいい!」 頭に何も被っていない事実がよっぽど嬉しいらしい。 満面の笑みを浮かべてくるくるとその場で回ってみせる。右に流した金髪が揺れた。 花柄のカップを一つ手に取ると、ポットから紅茶を並々と注ぐ。 優雅に一人掛けのソファに足を組んで座りゆっくりとカップに口をつける。 その間、黒髪の男の方はじっと何か考えている様子で黙っており、 金髪の男…帽子屋が三口目で紅茶を飲み干したところで、ようやく口を開いた。 「でもさ」 「ん?」 「帽子無くなっちゃったら、君は今何屋なの?」 「何屋ってお前…そりゃ、あれだよ!ほら!……あれ?」 一見馬鹿みたいな質問に答えかね、はたと帽子屋が考え込む。 彼はその名前の通り『帽子屋』である。 勿論売っていたのは自ら被っていた帽子である。 それが無くなったとあれば自分は帽子屋たる外見を最早なしていない訳であり、 そんな自分が帽子屋などと名乗っていいものなのだろうか。 考えてみれば被っていた帽子に値札を貼って売っていたからこそ自分は帽子屋だったのだ。 帽子を売った事で名前の通りの仕事は達成したことになるが、 商品が無くなったのはいわばアイデンティティーの喪失とも言えるわけであって……云々。 「しまった、分からなくなってきた!俺は帽子を売る事で自己を確立したのか!?失ったのか!?」 「さあねえ」 帽子屋に余計な難問を吹っかけた当の本人はそ知らぬ顔で紅茶を飲む。 温かい紅茶を飲みほっと一息つくような雰囲気で、死にたいと呟いた。 途端胸倉を掴まれて前後に思い切り揺さぶられる。 「おいコラ、ウサギ!真剣に考えろ!」 「何で僕がぁ…ちょ、やめて、きもちわるい」 「お前が聞いてきたんだからお前も考えるのは当然だろうが」 「分かった、分かったよぉ、分かったから離して」 あまり筋の通っていない主張だとは思ったがこのまま揺さぶられ続けているのは大変いただけない。 最悪、さっきから飲んでいた紅茶を全てリバースする羽目になる。 そろそろ本当に顔色が悪くなってきたところでようやく解放された。 うえええと先程とは別の理由でテーブルに突っ伏す。 余計な事を言わなければ良かったと思っても後の祭りである。 帽子屋は完全に、自分が何屋であるか…ひいては何者であるのかという自己に関する哲学的問題を解決すべく頭を悩ませてしまっているのだ。 黒髪の男、三月ウサギは、気持ち悪さで目尻に浮かんだ涙を拭った。 「あー…だからあ、そうだなあ…君は帽子屋で、でも帽子が売れたわけだから」 「だから?」 「うん。君は今日から『屋』だね。『屋』」 「『屋』!?」 「よし解決」 「『屋』!?」 予想外にシンプルすぎる答えに帽子屋は目を剥いてそう繰り返した。 三月ウサギの中ではすっかりそれで収まったようで白いカップに紅茶を注ぎ直している。 屋って…いや、ある意味この上なく正しいけど…でも、屋、か… そんな声がぼそぼそと隣から聞こえてきたが三月ウサギは何も聞こえない事にした。 帽子屋という男は色々と知識を持っていて頭の回転は良いくせに、妙なところで馬鹿なのだ。 一々付き合ってもいられない。 どうせしばらく放っておけばいつものテンションに戻る事も分かっている。 それよりも三月ウサギにはやる事があるのだ。 今日も青い空や遠くに聳え立つハートの城や美しい薔薇を眺め、紅茶を飲む。 そんな大事な仕事が。 ぴょんと立ち上がり黒いカウンターチェアに移動した。 さて飲もうとカップを持ち上げたところで、ふと彼は視界の隅に何かを捉えた。 「…?」 今、何かが動いたような。 不思議に思ってそちらを向く。 向いた方は丁度ハートの城へと続く道になっていて、立派な薔薇のアーチがある。 そのアーチの陰にこそこそと誰かが隠れているのが見えた。 三月ウサギは再び椅子から降りると、帽子屋の方へと歩み寄った。 未だに頭を抱えて悩んでいる彼の肩をちょいちょいとつつく。 「何だよ!俺は今忙し…」 振り向いた帽子屋は、三月ウサギが唇に人差し指を当てているのを見て言葉を切った。 視線の先を追った彼もまたアーチの陰に誰かがいるのを見つける。 二人は顔を見合わせた。 「誰だ?」 「さあ…わざわざ隠れるような知り合いはいないけど」 「驚かせようとしてるとか?」 「それこそ誰がさ?」 ひそひそと会話を交わすが、結局確認しないことには拉致があかない。 帽子屋が立ち上がり、抜き足差し足でそっとアーチまで近寄った。 人影はアーチの向こう側に背をつける形で立っているので、こちらは見ていない。 恐らく本人はばれていないと思っているのだろう。 帽子屋はその背後まで近寄ると、ポンと肩に手を置いた。 「おい、」 「ひゃあっ!」 声をかけた瞬間に人影の肩がびくんと跳ね上がり、短く悲鳴が上がった。 驚いたのは帽子屋の方も同じで、反射的に手を引っ込めて目を丸くする。 黒髪と水色のスカートを揺らして少女が振り向く。 リデルだった。 未だに動悸が治まらないのか胸の辺りに手を当てている。 「ご、ごめんなさい、びっくりして…」 「あ、いや、こっちこそ」 「うわあ。女の子だあ」 三月ウサギが後ろからのんびりと声をかけた。 「何か御用?こっちにおいでよ」 手招きをされてリデルは戸惑いがちにテーブルへと近付いた。 帽子屋がロッキングチェアに勢い良く座る。 リデルもどこかに腰を下ろそうかと思ったが、椅子が多すぎて逆に座りづらく、仕方なく立ったままでいた。 「初めまして、だよね」 「誰なんだ?」 興味津々という顔で二人がリデルを見上げる。 視線を受けてどうしたものかと彼女は一瞬悩んだが、すぐに思い当たった。 紹介状だ。 「私…えっと」 「?手紙?」 「これ、女王様から…」 女王様という単語に帽子屋と三月ウサギはまた顔を見合わせる。 リデルの差し出した白い封筒を受け取り、やや乱暴に開いた。 中に入っていたカードには硬い文字でこう書かれている。 『帽子屋と三月ウサギの両名に、勇者の護衛を命じる。』 その下にはハートの紋章の印が押されていた。 女王直々の命である証拠である。 帽子屋は、はーん、と言ってカードを四つ折りにしてから手近のカップに詰めた。 三月ウサギは、成る程ね、と言って優雅に紅茶を飲んだ。 「勇者さまか」 「久しぶりに来たよねぇ」 リデルは首を傾げた。 彼らの雰囲気では、勇者というものが特に珍しくも無いように受け取れる。 女王の話では魔王を倒せる唯一の手段が外から来た勇者だという。 国の住人からすれば心待ちにしていた存在なのではないのだろうか。 それとも、今まで何人も勇者はやってきたがその都度魔王に…? 恐ろしい想像をしてしまい、リデルは慌ててその考えを打ち消した。 代わりに椅子から立ち上がろうともしない二人へ質問を投げる。 「あの…どっちが帽子屋?」 金髪の方があっさり手をあげた。 どう見ても帽子は見当たらない。 疑問を感じ取ったのか、黒髪の方がくすくす笑う。 「帽子ないけどね」 「売れたんだ」 帽子屋が複雑な顔をしてそう付け加えた。 「僕は三月ウサギ」 そこでようやく椅子から降りると、男はリデルの前まで歩いてきて握手を求めてきた。 手を握り、リデルも名乗る。 「リデルだね。よろしく、勇者さま」 三月ウサギが笑ってそう言った。 リデルは内心、ほっとしていた。 時計ウサギもハートの女王も基本的にこちらの話は聞いてくれなかった。 リデルは完全に振り回される側で、正直なところ此処へ来るまで凄く不安だったのだ。 護衛というからにはどれくらいかは分からないが魔王退治の道中を共にする人達である。 例えば意思疎通の全く取れない人だったり、やたら恐怖を煽る人だったり。 そもそも見た目が人間じゃないという可能性すら十分にあったわけで。 そんな人達が護衛だったらどうしようと本当に心配していたのだ。 だから、想像していた以上に二人がまともであった事に、リデルは安堵していた。 またも『ウサギ』とつく名前、異常なくらいにごたついたテーブル等が確かにこの二人もワンダーランドという枠内に収まる変人である事を 示してはいるのだが、今のリデルにとってはそんな事些細な問題だった。 「さて!挨拶も済んだし、早速行こうか?」 三月ウサギの提案に帽子屋も椅子から飛び降りた。 そして二人は堂々と歩き出した。 それぞれ、別々の出口へと。 「え?あ、あれ?」 薔薇広場からは三つの道が伸びている。 一つは、リデルが歩いてきたもの。ハートの城へと続く道だ。 つまり正解は残る二つのどちらかなのだが、何故か彼らは別れて進んで行ってしまった。 いきなり護衛に置いていかれて勇者はおろおろと行ったり来たりするばかり。 無数のカップ達だけが彼女を静かに見上げている。 しばらくすると、二人が早歩きで戻ってきた。 そしてにこやかにこう言い合った。 「魔王の城、どっちだっけ」 「奇遇だねえ。僕も聞こうと思ってたよお」 広場に沈黙が訪れる。 ロッキングチェアが風に揺れてギイィと音をたてた。 あれ?とリデルは思う。 何だかさっきまで感じていた安心感が薄れていくような。 「取り合えず!」 「うん」 「お茶でも飲もう」 「えぇっ!」 帽子屋が如何にも名案だという風に宣言し、赤いアームチェアに腰を下ろした。 状況を飲み込めないリデルの背中を三月ウサギが押す。 「さあさあ座って」 「す、座ってる場合じゃないでしょ!?魔王退治…」 「大丈夫だって。今から思い出すからさ」 紅茶を注ぎながら帽子屋が自信たっぷりに言う。 リデルは信じがたく思いながらも促されるまま席についた。 ピンクのカップを受け取る。 「ワインでもいかが?」 三月ウサギが言った。 リデルは手渡されたカップを覗き込む。空である。 次にテーブルを見回すが紅茶のポットばかりでワインの瓶など一本も見当たらなかった。 「ワインなんてないじゃない」 指摘した。 途端に三月ウサギの表情が驚く程に曇った。 力なく少女の隣の椅子に腰を下ろして、一粒、二粒。ぼろぼろっと涙が落ちる。 リデルは目を見張った。 よもや事実を(しかもワインが無いっていうだけの!)指摘したくらいでこんなに落ち込まれるとは。 「あーあ…死にたくなってきた」 こっちの台詞だわ、とリデルは額に手を当てた。 前言、撤回。 やっぱりまともな人間なんてこの世界にいやしないのである。 戻る |