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薔薇広場からまっすぐ、どれくらい歩いてきたのだろうか。 リデルは立ち止まった。 この世界にやってきた時には高かった太陽は今ではかなり傾き、空は茜色に染まっている。 もうすぐ夜がやってくるのだ。 (これってやっぱり、野宿とかになるのかしら) ぐるりと辺りを見回す。 夕焼けに照らされて金色に輝く草原がそこにはあり、遠くは森と思われる黒が囲んでいる。 何とはなしに足元にあった小石を蹴飛ばした。 小石は思いのほか綺麗な放物線を描いて飛んでいき、少し先を歩いていた三月ウサギの頭にカツンとぶつかった。 curtain call 3:冒険に出る日 「いったー…何するのさあ」 三月ウサギが後頭部を摩りながら振り返る。 黒い瞳はやや涙で潤んでいるようだ。 「ごめんなさい、そんなに飛ぶとは思わなくて」 素直に謝ると何を思ったのか彼が急に戻って来た。 リデルの前で立ち止まり、首を傾げた。 「疲れちゃった?」 「え?」 「止まってるから」 「ああ…違うの、何となく。今夜はここら辺で寝るのかなあって思っただけ」 「…寝る」 三月ウサギはぱちぱちと瞬きをした。 しばらくリデルをじっと見つめた後でぽんと手を打つ。 「そうかそうか。うんそうだ、君は外の人だもの」 「久々すぎて失念してたな」 いつの間に話を聞いていたのか、やや離れたところで帽子屋も同意してきた。 妙な言い方である。 まるで自分達は眠ることが無いような。 「この世界の人は、皆…寝ないの?」 二人はちょっと考えて首を振った。 「ううん、そんな事は無いよ」 「馬鹿みたいに寝てばっかの奴もいるさ」 「でも必要は無い。特に僕らはね」 「何故?」 「お茶を飲むためさ」 「お茶を飲んでたいからだね」 自信満々に、答えになっていない答えを返す。 リデルは軽く溜め息をついた。 どうもこの世界の住人に会って以来溜め息の数が増えているように思う。 時計ウサギ達に比べれば随分とまともだと思った目の前の彼らもやっぱり時々話が噛み合わない。 彼らはどこまでも彼らの常識で喋り続けるので、解読はもっぱらこちらの役目だった。 「お茶が飲みたいから眠らないっていうの?」 「そうだよ」 「でも、眠くならない?いつかは」 「ならない」 帽子屋が楽しそうに笑った。 「俺らはお茶会をするのが役目だからな。全てにおいてそれが優先される」 「寝てばっかの奴はそれが仕事だから、寝るのが優先されるだけだよ」 分かったような、分からないような。 今度はそんな回答だった。 とにかく話をまとめた結果、どうやら彼らは眠るという行為が必須ではないようだ。 薔薇広場でしていたような事を昼夜問わず延々とやっているらしい。 一日中お喋りをしながら次々に椅子を変えて紅茶を飲む生活。 飽きないのだろうか。 自分だったら恐らく一日だってもたないとリデルは思う。 これでは最早変人の域すら超えている。 眠る必要が無いだなんて。まるで、そう、人ではない存在、みたいな。 少女には、聞いてみたいことがあった。 体が浮くだとか魔王だとかが普通に存在するようなこのワンダーランドにおいて、 見た目には自分と何ら変わるところのない彼らが本当はどういう存在なのか。 何か特別な力を持っている人達なのか、そういうことを。 「あなた達は…人間なの?」 どう聞いたらいいのか考えあぐねた結果に出てきた言葉は結局それだった。 大雑把な質問は、けれど的を得ていたようで、帽子屋と三月ウサギは二人揃って困った顔をした。 何と答えたらいいものか分からないといった風に押し黙る。 彼らが言葉を探しているなんて事は初めてでとても新鮮に感じた。 頭をがしがしと掻いた帽子屋が、まさか、と口を開いた。 「こんな名前の人間がいてたまるかよ」 ぴっと指を差した先には勿論、三月ウサギ。 矛先が自分に向くとは思わなかったらしく彼は眉をハの字に下げた。 「酷い!」 「あ、それは私も思ってたわ」 「!?」 同意する。 やはりウサギなんて名前は不自然極まりない。 何故ウサギなのだ。しかも二人。被っている。 「本人目の前にしてそんな事言わなくたって…」 彼はがっくりと肩を落とした。 俯いてしまったので顔は見えないがまた涙目になっているのだろう。 弱虫なのだか繊細なのだか、この男はとにかくすぐ泣く。 最初はリデルも驚いたり気にしたりしていたのだが、あまりに回数が多い上に隣にいる帽子屋が完全に無視しているので 段々とそれに倣うようになってしまった。 今では死にたいという言葉が聞こえてきても表情も変わらない。 どうも口癖らしいのだ。いちいち反応するのが馬鹿らしい。 「ねえ、耳は?」 「へ?」 そういった訳で落ち込む様子など見えないかのようにリデルは尋ねた。 三月ウサギが間抜けな声をあげた。 「あなた達、ウサギなんでしょ?何で耳が長くないの?」 「な、何でって言われても…」 おろおろと彷徨わせた視線がばっちりと帽子屋と合った。 にこり。帽子屋が笑む。いや、この場合はにやりだっただろうか。 嫌な予感がして三月ウサギは青ざめた。 「引っ張ってやろうか?伸びるかも」 「やだ、絶対本気でやるもん」 「遠慮すんなって!」 「こっち来ないでー!」 にやにやしながら追う帽子屋。 半泣きで逃げるウサギ。 二人はついにはリデルを中心としてぐるぐると走り回り始めた。 「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいからさ!」 「ちょっとだろうが何だろうが嫌だってば!」 「意外と良く伸びるかもしれないだろうが」 「伸びたら伸びたで困るんだよぉ!」 「お前らもっとウサギらしくした方がいいって。前から思ってたんだよ」 「嘘つけ!」 ばた、ばた、ばた、ばた。 ぐる、ぐる、ぐる、ぐる。 はしゃぎまわって走る走る。 何だか自分の方が目が回りそうでリデルはその場に腰を下ろした。 二人とも本当に子供みたいだ。 目も生き生きと輝いている。主に帽子屋が。 リデルは自分より幼い子供と接した経験など無いが、きっとこんな感じに違いない。 こうやって走り回って、そのうち手や足を出すようになって、武器を取り出して…ん?武器? 「ちょっとストップストップ!何やってんの!」 「お?」 「リデル、助けるの遅いよぉ!!」 気付けば戯れの追いかけっこは素手での格闘になり、今や戦闘になっていた。 帽子屋が右足につけていたホルダーから武器―ジャマダハルと呼ばれる刀剣―を引き抜き、完全に攻撃を仕掛けている。 三月ウサギはというと武器の類は所持していないが慣れた様子でその攻撃を全てかわしているのだった。勿論泣きながら。 「何で耳を引っ張る引っ張らないってだけの話がそうなるのよ?」 「触らせないから、いっそ動かなくしようかと」 「おかしいでしょ…」 「君は考える事が極端なんだよぉ」 「ネガティブ一直線のお前には言われたくない」 「もー分かった!この話はおしまい!」 またじゃれ合いが始まりそうに思えたので、リデルは勢いよく立ち上がり歩き始めた。 結局彼女の疑問にはちゃんとした答えを貰えていないのだが、このまま続けても無駄だろう。 勇者が歩を進めたお陰で、護衛の二人は慌てて後を追ってきた。 未だに警戒しているのか三月ウサギは両耳を手で押さえている。 「それで、もう殆ど日が落ちちゃったんだけど…」 空はオレンジから色を変え、暗い青になりつつあった。 「ああ。野宿かどうかって話?」 「取り合えずあの森まで行く」 帽子屋が前方を指差す。 暗くなった空のせいで輪郭が見えにくくなったそれは、まだ大分先にある。 「泊めてくれる奴がいる」 「そうなの?どんな人?」 「気難しいけど良い人だよ」 彼らの基準の『良い人』がリデルにとっても良い人かは分からないが悪人でもあるまい。 リデルはただ屋根があるところで眠れるらしい事に安堵しながら、何となしに名前を聞いた。 聞いてから随分と後悔をした。 「「イモムシ!」」 ◆ ◆ ◆ 鬱蒼と木が生い茂った森は、思った以上に暗くじめじめとしていた。 夜だからというのもあろうが 枝が絡み合って葉を広げ形成された屋根は、昼間でも殆ど光を通さないのではないだろうか。 気温も低い。 温めようと触った腕がしっとりと濡れていてリデルの不快指数が高まる。 前は帽子屋が、後ろは三月ウサギが歩いていた。 木の根っこが飛び出し、蔦が好き放題に垂れ下がり、ところどころ地面がぬかるんでいる悪路を 少しでも歩きやすいように道を選びながら進んでいく。 「!」 苔の生えた木に乗せた右足がぬるりと滑り、リデルはバランスを崩した。 後ろにいた三月ウサギが慌てて彼女を支える。 「大丈夫?」 「う、有難う…」 このやり取りももう何度目かになる。 慣れない道でいい加減疲れもたまってきた。 やたらに不平不満を漏らすつもりはないが、流石にリデルも限界で。 「ねえ、まだ?」 うんざりした声色も仕方がなかっただろう。 帽子屋が振り向いて、もう少し、と言った。 「負ぶってやろうか?ウサギが」 「やるのは僕なんだ…」 「まだ歩けるわ。でもそろそろつきたいところね。その…なんとかさんのとこに」 「イモムシ?」 「あー!言わないで!」 余計な不安を思い出してしまった。 只でさえ、これなら草原で寝る方がマシだったと思っていたところだというのに。 多くの少女がそうであるようにリデルは虫というものが苦手であった。 触るのは勿論、できれば見るのも控えたいと思う程度には。 だから今夜の宿を提供してくれるらしい相手の名を聞いてから何となく落ち着かない心持ちでいる。 ウサギが人型なのだからきっと同じに違いないという希望を持ちながら 一方では人間サイズの巨大な芋虫を想像してしまって気分が悪くなった。 人型かどうかを二人に確認しても、からかっているのか何なのか曖昧に笑うだけで教えてくれない。 「よいっしょ…っと」 帽子屋が手にした小さなナイフで絡まる蔦を切る。 先は開けた場所になっているようでそこから急に月明かりが漏れ出した。 ずっと暗い森を歩いてきた目には眩しく、思わず手をかざす。 出口の向こうから帽子屋が差し出した手に掴まってリデルもそちらへと抜けた。 「わ…」 キノコだった。 リデル達よりも遥かに大きな、家のような大きさのキノコが、天へ伸びるように束になって生えている。 頭上は枝葉が途切れてぽっかりと穴があいたようになっており 今まで全く見えなかった真ん丸の月が顔を覗かせていた。 柔らかな月光を浴びて神秘的に淡い光を帯びた巨大キノコ。 じっと見上げていると自分が小さくなってしまったような錯覚を覚える。 一際太いものの根元にはドアがついていた。 その右斜め上には小さな丸い窓。 驚いた事に家であるらしい。 メルヘンチックな可愛らしい木製のドアを、帽子屋がコンコンとノックした。 噂のイモムシのご登場である。 リデルは緊張でドキドキと鳴る胸を押さえた。 「…あれ?」 しかし待てど暮らせど返事が無い。 キノコの家は来客を歓迎するのでもなく追い返すのでもなくただ沈黙している。 ドンドン。 さっきよりも強く叩く。 が、結果は同じ。何の反応も無い。 三人は首を傾げた。 「おかしいな」 「滅多に家から出たりしないのにねぇ」 言いながら丸いドアノブに手をかける。 回して引っ張ると、いとも簡単に開いた。 中では暖炉に火が燃えておりさっきまで人がいたような気配。 「ま、いいか。入ろう」 帽子屋がリデルの背を押した。 「い、いいの?」 「平気平気。文句なんか言わせないって」 「何せ勇者さまだからねぇ」 これまでの態度では“勇者”にそんなに権限がありそうには到底思えないのだが ともかく二人が言うのならばとリデルは考えるのをやめた。 何より森で冷たくなった身体と疲れた精神に温かな部屋は魅力的で抗いがたい。 引き寄せられるように暖炉の前に歩いていってその前にぺたんと座り込んだ。 帽子屋が彼女の後ろを通り隣室へと消える。 家主を探しに行ったのだろう。 リデルは息を吐いた。 冷たい腕や髪に触る。 あまり気持ちの良くないものだがまさか脱ぐわけにもいかない。 せめて早く乾くようにと暖炉に向けて腕を伸ばしてみる。 ぱちぱち、と火が爆ぜる音を聞いていると自分の家の事を思い出した。 そういえば家は大丈夫だろうか。 誰かに入られたところで盗られる物など何も無いのだけれど。 それでも毎日つけた日記や、大切な人形、それに家族の写真の事を考えると少しだけ心配になった。 揺れる炎を眺めながら考えていると、ティーカップが差し出された。 視線をあげれば三月ウサギが笑っている。 「どうぞ」 「有難う」 手渡された紅茶にはたっぷり蜂蜜が入っていてとても甘い。 「勝手に飲んじゃって良かったの?」 「大丈夫。持参だよぉ」 「持参…って、持ってきたってこと?」 吃驚して男の格好を確認してしまう。 ピンクのシャツに黒いズボン、サスペンダーという出で立ち。 鞄の類を何も持っていない彼が、カップや茶葉を持ち運べるようには思えない。 では帽子屋が? しかし彼の方もジャマダハルを仕舞うホルダーを太股に装着しているだけで、同じく鞄は無い。 さっき小型ナイフをズボンのポケットから出すのは見たが、他には入らないだろう。 「不思議でしょ」 空になったリデルのカップにポットで紅茶を注ぎ足す。 それから、薔薇の模様のついたポットを指でコツコツと叩いた。 「僕らは紅茶ならいくらでも出せるよ」 「ほんとに?」 「どう思う?」 「本当なら素敵。私も紅茶好きだもん」 「そりゃあ気が合いそうだねぇ」 真実かはわからないが、好きなだけ紅茶を出せる魔法というのは悪くない。 魔王だとかそんなのよりはずっと。 「疲れたでしょ」 三月ウサギは隣に座った。 「そうね、流石に」 「来たばっかだもんね。一気に色んな事あって大変だったでしょ」 「強引な人ばっかりだったしね」 家に迎えが来た事から順に思い出してみる。 たった一日の出来事だなんて信じられないくらいに濃い内容だった。 少女のぼやきに笑っている彼を見て、ふともう一人のウサギが脳裏に浮かんだ。 「時計ウサギとあなた達って仲が悪いの?」 質問をしてからすぐに、まずかったかな、と考える。 帽子屋達を護衛にすると聞いた時の時計ウサギの苦々しい顔を思い出したのだ。 向こうがそうであるならば、こちらの反応も芳しくないものかもしれない。 けれどリデルの心配をよそに三月ウサギはきょとんとして聞き返した。 「どうして?」 「…時計ウサギが、貴方達とは馬が合わないって」 「あいつが言ったんだ?」 「そうよ」 「まあ、仕方ないかもね」 「やっぱり仲悪いの?」 「よくからかってるんだよぉ。帽子屋が特にね」 「ああ、そう」 容易に想像出来た。 三月ウサギとの会話を見ていても、帽子屋がそういった事が好きなのは良く分かる。 「でも嫌ってるわけじゃないよ」 穏やかな声が何だかいつもと少し違って、リデルは隣にいる彼を見た。 表情に別段変わったところは見当たらない。 気のせいだったのかもしれない。 くあ、と欠伸を一つする。 暖炉と紅茶で温められたお陰で眠気が襲ってきていた。 「寝たらいいよぉ。旅は始まったばっかりだからね」 「…うん」 「勇者さまには頑張ってついてきてもらわないと」 勇者さま。 それが今の、この世界での自分に与えられた役目。 何をすればいいのかも分からないし、実感も全く無いけれど。 カップに揺れる飴色の液体を一口飲み込む。 見た目は一杯目と同じだったのにミルクティーの味がした。 戻る |