12月12日
今日も誰とも話さなかった。
ここまで無口でいられるなんて、
もしかしたら私は他の人からは見えないのかもしれない。


12月18日
今日も誰とも話さなかった。
良いお天気なのに傘を持った人を見かけた。変なの。


12月20日
今日も誰とも話さなかった。
雪だるまを作った、勿論一人で。
寒そうだからマフラーをあげた。
あの雪だるま、動けばいいのに。


12月24日…




リデルは、ほうと息をついて顔を上げた。
窓の外では深々と雪が降っている。
数日見続けているその光景はまだまだ終わりそうにはない。
テーブルの上に広げていた日記をぱたんと閉じて、紅茶の注がれたカップを手にとる。
残り少ない中身を一気に飲み干した。

「もう一週間たつんだわ」

壁にかかっているカレンダーを見ながらリデルが呟く。
その呟きを聞いている者は誰もいない。
彼女は一人きりでこの家に暮らしていた。
家族もなく、友人もなく。
一人で目覚め、一人で眠る。
つけている日記にはまるで決まりであるかのようにこう書かれた。
『今日も誰とも話さなかった』。
彼女の家族が消えた日から、欠かさず添えられている言葉。
それは祈りの文句のように。あるいはまじないの呪文のように。
ずっとずっと書かれていた。
たった一日。
誰もが奇跡を願うようなその日を除いては。




 curtain call 

   プロローグ









「メリークリスマス!」

一つのノックすら無しにドアが開かれ、
中に入ってきた男が言い放った言葉がそれだった。
リデルがぽかんと口を開けて彼を眺めていたのも無理のない事だっただろう。
ベストを着て首から懐中時計とトランプを下げ、マフラーを巻いた細身の男。
にこにこと人好きのする笑みを浮かべてはいるが
リデルには彼に会った記憶など欠片もなかった。

「あなた、誰?」

ひとまず当然の疑問を口にする。
旅の人間。押し入り強盗。セールスマン。
色々な可能性を頭に思い浮かべてはみるが、どれもいまいち説得力がない。
男は手ぶらだったし強盗にしては台詞と雰囲気が陽気すぎる。
だいいちこんな小さく古い家に押し入ろうなどと普通考えないだろう。

「僕?僕は…そうだな。クリスマスの奇跡ってやつかな」

少し考えたあと、彼は悪戯っぽく笑って返した。
しかし全く答えにはなっていない。
リデルは疑問が深まるばかりか多少苛立ちも覚え始め、は?とやや不機嫌に聞き返す。

「このマフラーに見覚えは?」
「え?」

男が、巻いていたピンク色のマフラーに触れた。
まじまじとそれを眺めてから、リデルははっとした。
良く良く見ればそれは自分のものである。
数日前。家の近くに作った雪だるまに巻いてやったマフラーだ。
何故かそれが今まさに男の首に巻かれているのである。

(クリスマスの奇跡…って言ったわね)

雪だるまに巻いたマフラー。
あの時自分は何を思った?
そうだ、日記にも書いてある。動けばいいのに。そう思ったのだ。
両親も友人もおらずたった一人でいる自分。
望んで、ではない。周囲に馴染めない事が理由だ。
だからせめて、作った雪だるまが動き出して自分の相手をしてくれたら。
一晩でもいい。そんな事が起こってくれたらどんなに良いだろう。
確かにそう思ったのだった。
という事は。
リデルは先ほどまでとはうってかわって、期待に満ちた表情で顔をあげる。
もしかして、もしかしたら!

「もしかしてあなた!雪だるま!?」

男はリデルに向かって優しく微笑んだ。
どうやら肯定しているようだ。
信じられなかった。
クリスマスイブは奇跡が起こる日だなんて迷信だと思っていた。
世界には天使も妖精も存在しないことを彼女はとっくに知っていたし、
雪だるまが動き出したり動物が言葉を話すなんて絵本の中の話だと当然分かっていたのだ。
けれど目の前に確かにいる。
ピンク色のマフラーが何よりのその証拠なのだ。
想像していたのは雪だるまの姿のまま動き出すものだったのに
何故か人間の姿になって現れてしまっているけれど、
このさいそんな事はどうでもいい。
雪だるまのように融けるとしたらこの上なくグロテスクだが敢えて考えないことにする。

「ほ、ほんとにあの雪だるまなのね?」

例えるならばサンタクロースに出会った子供のような。
そんな感動を少女は今、強く抱いていた。
男は彼女の肩に手を置き
にっこりと、リデルの眼をまっすぐ見つめながら微笑んだ。

「ま、冗談だけどね」

びしり。
音を立てて空気が固まる。

「え…え?」
「やだなー、雪だるまとか。無い無い」
「〜〜〜ッ!」

目を見開いたリデルの体温が急激に下がり、そして、男の言葉で一気に沸騰した。

(からかわれた…!!)

初対面の人に、雪だるま!?などとメルヘンチックな事を言ってしまった恥ずかしさと
そもそも自己紹介すらしていない相手にいきなりからかわれている腹立たしさとで、
少女の頬はみるみるうちに真っ赤に染まった。
しかし男は意に介さず、はいどうぞ、とマフラーを手渡す。
その仕草がまた腹立たしく、
リデルは奪うように受け取ってテーブルの上に無造作に放り投げた。

「あなた、結局誰なのよ…っていうか何の用ですか?」

何とか自分を落ち着かせ、出来うる限りの硬い声と表情を作る。

「ごめんって。そんなに怒らないでよ」
「別に怒ってません。いいからさっさと用件言って」
「あはは…参ったなあ」

棘を隠そうともしない言い方に男もやりすぎたと思ったのか、
今度は苦笑を浮かべている。
そしてゴホンと咳払いを一つすると、右手をひらりとあげて恭しく会釈をした。
気障な貴族のような仕草だが、男がやると妙に様になっている。

「初めまして。僕はウサギ。時計ウサギ」
「……ウサギ?」
「時計ウサギ!」

耳にした単語が信じられなくて聞き返すと、
男…自称ウサギは何故か時計の部分を強調する。
けれどリデルには何ウサギだろうがそんな事は問題じゃない。
時計だろうが白だろうがロップイヤーだろうが知ったことではないのだ。
しばし沈黙。
ぽん、と手を打った。
くるりと踵を返して向かうは電話。
受話器をとって番号をまわして、

「あ、もしもし警察ですか?」
「うわ、通報しないで!」

がちゃん!
凄い勢いで走ってきた自称時計ウサギに電話を切られた。
めげずにリデルは病院の番号を探す。
追い出そう。
一刻も早く追い出そう。
この人は駄目だ。危ない人だ。
かよわい少女の家に不法侵入した上に頭がおかしいとなれば
もう何処にでも引き取ってもらえる気がしてならない。
というか何がウサギだ。
どんなメルヘン頭だ。
これなら自分の雪だるま発言の方が随分マシに違いない。
そう考えると先ほどからかわれた事にまた腹が立ってきた。

「君、まるで信じてないな」

時計ウサギが呆れた声で言ったが、そんな声を出したいのはリデルの方である。
何処の世界に、「僕はウサギなんです」と言われて
そうなんですか素敵ですねなんて答えられる猛者がいるというのか。
はあ、と溜め息をつく。

「私が知ってるウサギはもっと可愛いもん」

言ってから、これもおかしな話だなとリデルは思った。

「じゃあ君が知ってるウサギを言ってみなよ」
「…色が白くて」
「白いじゃない」

自信満々。
その指は自分の白いシャツを摘んでいる。
聞かなかったことにした。

「目が赤くて」
「赤いでしょ?」

今度は眼鏡を指差した。
確かにフレームは赤い。
ならばとリデルはたたみかけるように言う。

「耳が長い!」

流石にこれには時計ウサギも戸惑った様子で、「み、耳?」と困ったように言った。
初めて見る焦った表情にリデルは一気に機嫌を良くして、ふふんと鼻で笑う。
耳なら持ち物では表現できない。
これなら素直に、自分は妄想癖のあるただの人間ですごめんなさいと負けを認めるはずだ。
もしかしたらウサギに凄く憧れを持っている人なのかもしれない。
来世ではなれるといいわね、なんて慰めの言葉をリデルが考えていると、
時計ウサギは自分の両耳に手を持っていきそして思い切り引っ張った。

「な…なが……っ!」

これにはリデルも驚いて、目をぱちくりさせる。
時計ウサギは真っ赤な顔をして一生懸命耳を引っ張っている。
恐らく本気で。全力で。
何だか本当に伸びてしまいそうだ。

「あーもう分かった分かった!そんなに頑張らなくていいってば!」

ついには折れたのはリデルの方で。
涙目になってまで耳を引っ張る彼の腕を掴み、とにかくその行動をやめさせた。
自分が認めるまでずっと続けそうな雰囲気に付き合うのにもうんざりして、
仕方なく彼の言葉を受け入れることに決めたのである。
まあ本当にあの動物の兎かどうかなんて事は知らない。
ともかく見た目は人型なのだから「時計ウサギ」という名前の人間と思えばいいだろう。…多分。
どっと疲れが押し寄せるのを感じて、リデルは力なく椅子に座った。
時計ウサギは痛そうに耳をさすり、涙をゴシゴシと拭っている。
はあ、ともう一度盛大に溜め息。

「…ウサギなのね」
「そうだよ」
「分かったわよ、もうそれは認めるわ。で?一体何の用なのよ」
「ようやく話を聞いてもらえる!」

その言い草にリデルは眉をひそめたが、
ここでまた何か言っては話が進まないと思って口をつぐんだ。
時計ウサギは体勢を整えるとひとつふたつ深呼吸をし、更にえへんえへんと咳払いをした。
たっぷり十秒は間をとってからもう一度深く息を吸う。
そして言った。

「おめでとうございます!あなたはワンダーランドに正式に招待されました!」

パチパチパチパチ!と拍手が響く。
無論手を打っているのは時計ウサギ本人である。

「…ワンダーランド?」

また飛び出した突拍子もない単語。
リデルは段々頭痛がしてくる思いで時計ウサギを見上げる。
彼は笑顔だが至って真剣であり、冗談を言っているようにも思えない。
が、雪だるまの件もあるので迂闊には信じがたい。

「さ、行くよ!ついといで!」

真意をはかりかねていると時計ウサギはリデルの腕をいきなり掴み、彼女を立ち上がらせた。
慌てふためいた彼女の腕が机の上の日記に当たってばさりと落ちる。
あ、と思ったが相手はそんなものを気にしてくれない。
殆ど駆け足に近い状態で家のドアへと進んでいく。
リデルは目を白黒させながらとにかく両足に力を込めた。
得体の知れない男に謎の場所に連れていかれそうになっているのだ。理由も分からずに。
怖いわけではないがどうしたって躊躇するのが普通である。
じりじりと引きずられながらも全体重をかけて精一杯行かせまいと抵抗する。

「何処行くの!?」
「だからワンダーランドだって言ってるじゃない」
「今から?」
「勿論!」
「いや、だって…それ何処にあるのよ?」
「大丈夫大丈夫、僕に任せてよ!」
「任せられないから言ってるんでしょ!」
「いいからいいから、行くよ!」
「私行くなんて一言も…ちょっと!聞きなさいよ!」
「いざ、ワンダーランドへごあんな〜い!」

結局のところ、抵抗も空しく。
細身のくせにかなりの力で引っ張るものだから、
リデルは転びそうになりながら銀世界へと連れ出されていった。


12月24日。

雪が良く降る日のことだった。















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